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ALL SAMPLES CLEARED?

 1991年12月17日、「汝盗むなかれ」というモーゼの十戒の引用から始まる判決文が、米国連邦地方裁判所によって下された。その訴訟の被告はビズ・マーキーと所属レーベルの〈 Cold Chillin’ 〉、そのオーナーのフライ・タイ、そしてディストリビューターのワーナー・ミュージックなどで、原告はギルバート・オサリヴァン。原告の訴えは、ビズの曲“Alone Again”が、オサリヴァンの72年のヒット・ソング“Alone Again (Naturally)”の著作権を侵害しているというものだった。
 裁判所は原告側の訴えを認め、ワーナーは“Alone Again”が収録されたアルバム『I Need a Haircut』の店頭回収を課せられた。この判決によって、権利者の許諾なきサンプリングは違法であるという司法のお墨付きが与えられ、成長過程のヒップホップに深い影を落とした。

 マーリー・マールが偶然発見したサンプリングのテクニックによって、ヒップホップはサンプリングをプロダクションの主成分とする音楽となり、目覚ましい成長を遂げていたが、91年12月17日以降、無許可はもちろん、許可を取っていたとしても過度なサンプリングは自分たちの首を絞めることになった。

 パブリック・エネミーの屋台骨であるプロデューサー・ユニットのボム・スクワッドは、そのトレードマークである幾重にも重なったサンプリング・コラージュを事実上封印されてしまったし、もうデ・ラ・ソウルの『3 Feet High and Rising』や、ビースティ・ボーイズの『Paul’s Boutique』のような何十曲もサンプリングしているアルバムを(少なくともメジャー・レーベルが)リリースすることはできなくなった。

 だが幸いにも、サンプリングは生き延びた。ヒップホップはレコード会社にとってもドル箱だったので、適度なサンプリングであれば、ちゃんとした許諾手続きと使用料を支払うに値した。また、サンプリング・ソースを分解し、組み合わせることでどの曲をサンプリングしたのか分からないようにしてしまうチョップ&フリップというテクニックの発展や、サンプリングしたいフレーズをミュージシャンに弾き直してもらうことで、コストを作曲者に対する印税だけに抑える方法(そのサンプリング・ソースのアーティストやレコード会社への「原盤権」に対するサンプリング使用料の支払いは不要になる)によって、「サンプリングは創造的ではない」という外野からの批判を跳ね除け、むしろヒップホップの創造性は増したと言ってもいい。

 サンプリングと法をテーマにした話の注意点として、このビズ・マーキーの事件が無許可のサンプリングによって訴えられた初めてのケースだと紹介されていることが多いが、決して初めての訴訟ではない。ビズ以前にもサンプリングを理由にヒップホップ・アーティストが訴えられた事例はあった。ただ、どれも法廷外で決着が付いたので表沙汰にはならなかっただけなのだ。

 ここでは、ビズの事件以前に限らず、以後も含め、サンプリングが原因で法的なトラブルが起こった曲を紹介したい。ラッパーにはヘアカットは必要だが、それ以上に必要なのはサンプリング・クリアランスである。

De La Soul

 デ・ラ・ソウルのデビュー・アルバム『3 Feet High and Rising』は70以上の曲がサンプリングされた法務部泣かせのサンプリング・アートの傑作だが、それに収録された1分程度のスキット“Transmitting Live From Mars”が訴訟沙汰となる。

 同曲ではタートルズの“You Showed Me”をサンプリングしていたが、アルバムがゴールド・セールスに輝いた頃、〈 Tommy Boy 〉はタートルズに訴えられる。法廷外で和解することで決着したが、同レーベルのオーナーであるトム・シルヴァーマン曰く、和解費用として約10万ドルもかかったそうだ。レーベル側は過失保険に加入していたため被害は最小限に抑えられたが、その半分となる5万ドルはデ・ラが負担することになった。これはそもそも誰の責任か?

トム・シルヴァーマン問題は、私たちは35曲のサンプルの権利処理をしたんだが、タートルズの曲はグループから提出されたリストには入っていなかったことなんだよ。あれは実際の曲ではなくて、インタルードだったからだろうね

 このシルヴァーマンの証言と、アルバムのプロデューサーであるプリンス・ポールの記憶は食い違っている。

プリンス・ポールアルバムが完成したときに〈 Tommy Boy 〉に全てのサンプルを報告したんだ。だけどあいつら有名だと思う曲しか権利処理をしなかったんだよ

 いずれにせよ、危うくこの訴訟で本当に「デ・ラ・ソウルは死んだ」となるところだった。

Vanilla Ice

 ご存知“Ice Ice Baby”で一世を風靡した白人ラッパー、ヴァニラ・アイス。ゲットー出身と吹いていたが、郊外の中流階級育ちだと暴露されたり、〈 Death Row 〉のオーナーであったシュグ・ナイトにホテルのバルコニーから吊らされて殺されかけたりと散々な目に遭ってきた彼だが、代表曲である“Ice Ice Baby”が原因で訴えらていた。
 同曲はクイーンとデヴィッド・ボウイの共演曲である“Under Pressure”のベースラインとピアノのリフをサンプリングしているが、さすが自称「ゲットー出身」、当然ながらサンプリングの許諾は取っておらず、ソングライターとしてブライアン・メイを始めとしたクイーンの面々やボウイの名前がクレジットされることもなければ、印税が支払われることもなかった。

 無断サンプリングの問題が浮上し、クイーン側に訴えられた際、本名をロバート・ヴァン・ウィンクルというダラス出身の白人ラッパーによるインタヴューでの釈明はある種の語り草となっている。

ヴァニラ・アイスこのベース・ラインは似ているけど、パクってないぜ。最後のダウン・ビートに音符が追加されていて、全く異なるベース・ラインになっているからな

 もちろんこんな子供じみた言い訳で済む話ではないが、最終的にアイスが採った対応は他の訴訟案件とは異なるものだったようで、2017年のインタヴューでは、当時この問題をどう解決したのか明かしている。

ヴァニラ・アイス結局、オレは曲を買ったんだ。ブライアン・メイのところへ行って、買ったんだよ。オレがあの曲の権利を持ってるんだぜ。マイケル・ジャクソンがザ・ビートルズの曲の権利も持ってるみたいにな。訴訟より安上がりだったぜ

 但し、アイスのこの発言を受けて、クイーン側のスポークスマンは彼の言い分は間違っていると声明を出しており、正確には出版権を買い取ったのではなく、出版権を共同所有することに合意したに過ぎないそうだ。嘘ばかりついてきた彼の悪癖は治っていなかったようだ。

Poor Righteous Teachers

 ワイズ・インテリジェント、カルチャー・フリーダム、ファザー・シャヒードからなるプア・ライチャス・ティーチャーズ(PRT)。直訳すると「貧しくも高潔な教師」というグループ名の彼らは、5%ネーションの教えを説く、X・クランやブランド・ヌビアンと並んでコンシャス・ラップを代表する存在として台頭したが、元々はニュー・ジャージーのストリートの悪ガキだった。

 彼らの代表曲である“Rock Dis Funky Joint”は、ウォーのヒット曲“Slippin’ into Darkness”をサンプリングしたビートが素晴らしくキャッチーな90年を代表する一曲で、ビルボードの「Hot Rap Singles」チャートで最高4位とまずまずのヒットを記録したが、マズいことにこれが無許可だった。貧しかろうが高潔だろうが、それは免罪符にはならず、許諾なきサンプリングでは訴えられる。
 幸いウォーとの間で示談が成立し、法廷での「ウォー」は避けられたが、グループにとってはそれ以上の問題に発展してしまう。まず先に説明すると、彼らが90年にリリースしたデビュー・アルバム『Holy Intellect』はトニー・Dというイタリア系アメリカ人がほぼ全部の曲をプロデュースしていたのだが、この訴訟が原因でPRTとトニーの関係性に亀裂が走る。

ワイズ・インテリジェント(リリース元の)〈 Profile 〉がサンプリング・クリアランスをしなかったんだ。オレたちはペナルティを受けたけど、オレたちがクリアンランスの責任を持つべきだとは思わなかった。グループとして契約はしていたけど、責任はプロデューサーであるトゥー・トーンズ(トニー・Dのプロダクション・カンパニー)にあるべきだと思っていた。コストの半分をオレたちが負担して、残りはトニーと〈 Profile 〉が負ったんだ。1ドルでも多く稼がなきゃいけないってのに不公平だし、最悪だったぜ。だから、昔取った杵柄で(笑)、ちょっと暴力的になって・・・PRTとトニーの仲が険悪になったんだ

トニー・Dあれは間違いなく〈 Profile 〉の過失だ。だけどワイズたちはオレに弁償させようとしたんだ。オレは思ったよ、“ちょっと待てよ、この曲でオマエたちはブレイクしたんだろ?”って。ある晩、あいつらがオレに飛びかかってきたんだ。ワイズはあんま絡んでこなかったけど、カルチャーとシャヒードが殴りかかってきたんだ。また一緒に仕事するまで一年近くかかったよ。オレはPRTから金を奪おうとする悪魔だって汚名を着せられたんだぜ。動揺したよ

 『Holy Intellect』はザ・ソース誌の「ベスト・ヒップホップ・アルバム100」の一つにも選出される名盤だっただけに、この問題が起きなければ失速したセカンド・アルバムの出来も違ったのではないかと悔やまれる。

Pharoahe Monch

 「ゴジラより怖い東宝の弁護士」と恐れられているように、ゴジラの著作権は世界一厳しい。日本が世界に誇る大怪獣ゴジラは許諾なきサンプリングを許さないのだ。オーガナイズド・コンフュージョンの1/2であるファロア・“ファッキン”・モンチは、そのソロとしてのデビュー・シングル“Simon Says”が原因で痛い放射熱線を喰らってしまった。

 “Simon Says”は映画『モスラ対ゴジラ』のテーマ・ソング(「ゴジラのテーマ」)をサンプリングしていたが、サンプリング・クリアランスが行われていなかったことでゴジラの逆鱗に触れてしまう。東宝はファロア・モンチとその所属レーベル〈 Rawkus 〉、CDのディストリビューターの〈 Priority 〉、そしてモンチがオーナーを務める出版会社「Trescadecaphobia, Inc.」を相手取り、著作権侵害を訴える訴訟を起こす。被告側は、東宝は「ゴジラのテーマ」の楽曲の有効な著作権を保有していない、「ゴジラのテーマ」はパブリック・ドメイン(要するに著作権切れ)であると反論したが、裁判所はそれを認めず、結果的に〈 Rawkus 〉はモンチのアルバム『Internal Affairs』から“Simon Says”を外すこと、そして“Simon Says”のシングルの店頭在庫を回収し、全て破棄しなければいけなくなった。

ファロア・モンチレーベルとディストリビューター、そしてオレは42万ドルで訴えられて、それ以来人生が変わっちまったよ(笑)

 ちなみに『Internal Affairs』は2019年10月19日にストリーミングで解禁され、ヴァイナルでも再発されたが、なんとそれには“Simon Says”が収録されている。今度はちゃんとクリアランスが行われたようだ。サイモンさんは言いました、「サンプリングの許可は取りましょう」。

The Notorious B.I.G.

 ブリッジポート・ミュージックという音楽出版会社がある。初期のファンカデリックやオハイオ・プレイヤーズのカタログを抱える〈 West Bound 〉のオーナーであるアーメン・ボラディアンが1969年に立ち上げた同社は、Pファンクのゴッド・ファーザーであるジョージ・クリントンの曲の著作権管理を行っており、無断サンプリングを許さない。これまでに500を超える訴訟を起こしているのだが、「ジョージ・クリントンってひどい奴だな」と思ってはいけない。いくらPファンクがサンプリングされようと、ブリッジポートが勝訴し賠償金を得ようと、実はジョージには一銭も入っていない。ジョージも1999年からずっとブリッジポートを訴え続けているのだ。ブリッジポートは82年と83年にジョージから楽曲の著作権を譲り受けたと主張しているが、その契約書のサインは偽造されたもので無効だとジョージは反論している。

 音楽業界ではブリッジポートは「サンプル・トロール」という悪名で恐れられ、数々の訴訟を起こしているが、中でも有名なものはザ・ノトーリアス・BIGの名盤『Ready to Die』収録の“Machine Gun Funk”“Gimme the Loot”“Ready to Die”での著作権侵害を訴えたものだろう。

 2004年にブリッジポート・ミュージックと〈 West Bound 〉が無許可のサンプリングによる著作権侵害を理由に〈 Bad Boy 〉を相手取って訴訟を起こす。第一審では原告側の主張が認められ、420万ドルの罰金と、問題となっている曲とアルバムの即時販売中止が命じられる。しかし控訴審において、罰金額が違憲に高く、適正手続に違反しているとして、280万ドルまで減額される。だが結局サンプリングは認められず、この判決以降、『Ready to Die』からは問題となった曲のサンプリングは取り除かれることになった。
 サンプリングの除外を余儀なくされたのは、オハイオ・プレイヤーズをサンプリングした“Ready to Die”“Gimme the Loot”、そして、ザ・ホーニー・ホーンズをサンプリングした“Machine Gun Funk”だ。例えば“Machine Gun Funk”はオリジナルverにはあったフックでのコーラスが消えている。同様に“Ready to Die”もフックからオハイオ・プレイヤーズのホーン・リフが取り除かれてしまった。ちなみに、apple musicで配信されているリマスター版の『Ready to Die』は、一時期まで曲名表記が嫌味たっぷりだった。“Machine Gun Funk”はご丁寧に“Machine Gun Funk (Parliament Sampling Removed)”となっており、“Ready to Die”も「“Ready to Die”(Bridge Port Sampling Removed)」と表記されていた。

 ヒップホップ屈指の名盤が店頭やストリーミングから姿を消す羽目にならなかったことは不幸中の幸いだが、この訴訟によってブリッジポートはヒップホップ・ファンの間では「ノトーリアス」な存在になってしまった。

Lord Tariq & Peter Gunz

 90年代後半のヒップホップの印象的なヒット・シングルを五つ上げてくださいと言われたら、多くの人のリストに“Déjà Vu (Uptown Baby)”が含まれるだろう。ロード・タリク&ピーター・ガンズというデュオがリリースしたこのブロンクス讃歌は、自主リリースを経たのち〈 Columbia 〉から97年の12月に再リリースされ、発売から四ヶ月後にはプラチナム・セールスを記録する特大のヒットとなった。だが、2013年にガンズが人気のリアリティ・ショウ「Love & Hip Hop: New York」に出演した際、彼は家賃を三ヶ月も滞納するほどの生活苦に喘いでいたという。それはなぜか?

 先述した通り、“Déjà Vu (Uptown Baby)”は元々は〈 Codeine 〉から自主リリースされ、ファンクマスター・フレックスやキッド・カプリら人気DJのラジオ番組でのヘヴィ・プレイによって火が付き、スマッシュ・ヒットとなる。その後、メジャー・レーベルの間でこのブロンクス出身のデュオの争奪戦が行われ、結果的に〈 Columbia 〉が契約することになったが、もしかしたら〈 Columbia 〉はババを引いたのかもしれない。

 “Déjà Vu (Uptown Baby)”ではスティーリー・ダンの“Black Cow”がサンプリングされているが、自主リリースだったということもあり、サンプリング・クリアランスは行われていなかった。そのため、スティーリー・ダンに著作権侵害で訴えられることになる。彼らは“Black Cow”のサンプリングを認める条件として、11万5千ドル(当時の日本円でおよそ1,500万円)の賠償金の支払いと、それに加えて“Déjà Vu (Uptown Baby)”の楽曲出版権の100%をスティーリー・ダンのものとすること、さらに〈 Columbia 〉から二人に支払われる印税のうち90%を要求した。

 〈 Columbia 〉から再リリースされた“Déjà Vu (Uptown Baby)”のCD、もしくは12インチのクレジットに目を通すと、B面の“Marmalade”にはタリクとガンズの本名である「S. Hamilton」、「P. Pankey」がしっかりと記載されているのに対し、A面の“Déjà Vu (Uptown Baby)”にはスティーリー・ダンのメンバーであるドナルド・ファーガソンとウォルター・ベッカーの名前しか見当たらない。それはつまり、タリクとガンズは作曲に関する権利を持っていないからだ。恐ろしい話だが、著作権とはそういうものである。スティーリー・ダンの曲のサンプリングはおすすめしない。