フージーズの“Fu-Gee-La”のヒットで名実ともにトップ・プロデューサーとなるサラーム・レミは、プロのミュージシャンであるヴァン・ギブスを父親に持つ。父親の影響で十代半ばから音楽業界で働き始め、カーティス・ブロウの“Back by Popular Demand”などでちょっとしたプロデュース・ワークは経験していたが、このダンサーを魅了し続けるジギーのカルト・クラシック・アルバムにおいて、いよいよ本格的にプロデューサーとしてデビューを果たす。
ジギーとはハーレム出身のダンサー兼ラッパーで構成されるグループで、メンバーはケイゾー、プランサー、サウンド、フェイス、トンガの五人。元々は各々が「The Tunnel」や「Studio 54」といったクラブを根城にダンサーとしてバトルに明け暮れていたが、暴行事件や麻薬の取引が原因でそれらのクラブが次々と閉店に追い込まれてしまい、自然と活動の場をヒップホップ・アーティストのツアーのステージやミュージック・ヴィデオの撮影現場に移していく。ケイゾーとプランサーはスペシャル・EDのダンサー、サウンドはYGのダンサーで、スペシャル・EDの“I’m Magnificent”やYGの“Thinking of a Master Plan”のヴィデオでは彼らが踊っている姿が確認できる。
MCハマーの“U Can’t Touch This”やヤング・MCの“Bust a Move”などダンス・ラップが一世を風靡していた90年頃、「ダンスはできるがラップはダサい、もしくはその逆の奴らばかりだが、オレたちはどっちも出来るんだ」とフェイスが当時のインタヴューで語っていたように、彼らは二足のわらじでの成功を目指してラップ“も”することに決める。だが当初はグループとしての構想はなく、サウンドが友人の友人の友人の…と思い出せないくらい遠い繋がりからレミにプロデュースを依頼し、ソロとして“Born Black”という曲(本作に収録されている“Born Black”のデモだろう)を作った。その後「クルーの連中も連れてきて一緒にやってみたいんだけど」とレミに相談したことをきっかけにジギーというグループが誕生した。そのジギーというグループ名、もしくはスラングについてフェイスはこう語っている。「ジギーっていうのは完璧にイカしてる(totally fly)って意味さ。ドープな服を着てるとするだろ? オレたちはそれをイケてる(fly)なんて言わないのさ。『ジギーだな!』って言うんだよ」 レミによれば、「ジギー(Zhigge)」が後に、ウィル・スミスの“Gettin’ Jiggy wit It”やザ・ロスト・ボーイズの”Ghetto Jiggy”で使われているジギー(Jiggy)に転じたそうだ。
ザ・ワイルド・バンチのミロが共作者としてクレジットされている“Harlem”以外はレミがトータル・プロデュースということになっているが、ジギーを代表する名曲“Toss it Up”は、レミ曰くもう自分としてはサンプルし尽くしたと思ったジェームス・ブラウンのレコードをジギーのメンバーに渡したら、その残り物から彼らが作り上げたそうだ。その“Toss it Up”は飛び跳ねるようなエネルギーが充満した最高のパーティー・ソングで、他にもバーナード・ライトの“Master Rocker”を下敷きにしたブギー・ダンサーの“Harlem”など、ダンサーとしてのバックグラウンドや好みが如実に反映されたファンキーでバウンシーなサンプリング・ビートをステージに、“Rakin’ in the Dough”のようなモテ自慢からアフロセントリックでコンシャス志向の“Born Black”まで多彩なテーマのラップを五人が代わる代わるフリースタイル的に繰り出していく様は、彼らのアップタウン・パーティーを擬似的に体験しているかのようだ。“I Wanna Be with You”での軟派な曲調の乗りこなしもクールで、クオリティとしてはレミのディスコグラフィの中でも絶対に見落としてはいけないアルバムなのだが、残念なことにジギーとしてはこれが唯一の作品となってしまった。