91年、セカンド・アルバムの制作が終盤に差し掛かった頃、〈 Cold Chillin’ 〉とその流通元であるワーナーから、「抱えているラッパーが多すぎる」という理由でマスタ・エースは一方的に契約を解除される憂き目にあう。レーベルは傘下にある〈 Prism 〉からのリリースを代替案として用意したそうだが、怒りに燃えたエースはそれを拒否し、自身で新たな道を模索した。LA在住だった彼のマネージャーの繋がりで〈 Delicious Vinyl 〉がエースとの契約に興味を示し、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ“Wake Me When I’m Dead”への客演参加を試験的に経て、彼は同レーベルと正式に契約を交わすことになる。
契約後すぐに、エースは地元ブルックリンの仲間とマスタ・エース・インコーポレイテッドを結成し、同地にある名門スタジオ「Firehouse Studio」を拠点に制作を開始する。多少ルーズなコレクティヴだが、正式なメンバーはユニークとアイスのマクファデン兄弟に、ロード・ディガと紅一点ポーラ・ペリーの四名。そして、ロード・ディガとウィッチドクターによるプロダクション・デュオ:ザ・ブルーズ・ブラザーズが脇を固める布陣となる。本作は「Gファンクに影響された」などと解説されることが多いが、全くそんなことはなく、むしろNYのサウンドにどっぷりと浸かっている。シングル“Jeep Ass Niguh”の中で「『The Low End Theory』のテープを入れる ベースが狂ったように鳴り出す」という一節があるが、このアルバムはまさにその『The Low End Theory』やギャング・スター『Daily Operation』と共鳴するジャズ・サウンドが根底に流れつつ(エースは92年頃にDJプレミアに機材の使い方やビート・メイキングのテクニックを教わったそうだ)、加えて、「制作時に大きな影響を受けた」とエースが認めるダス・エフェックスとレッドマンのアルバムと同じ系統の、黒く粘り気のあるファンク・グルーヴが渦巻いている。
ユニーク、アイスがそれぞれMCニグロとジ・イグノラントMCに扮してステロタイプなギャングスタ・ラップをパロディした“SlaughtaHouse “Diggadome” (Intro)”は二部構成の曲だが、前半はEPMD感がほとばしるファンク、そして後半は太く逞しいベースラインが牽引するヘヴィなジャジー・ビートで、まさに本作の音楽性を象徴している。続いて、メイナード・ファーガソンの瀟洒なホーンをサンプリングした“Late Model Sedan”がジャジーな流れを引継ぎつつ、エースのカタログの中でも屈指の傑作“Jeep Ass Niguh”へと雪崩れ込む。先述した『The Low End Theory』の影響を感じさせつつも、オリジナリティも刻印されており、ノリにノッたフロウ、当時はまだ珍しかった車を題材にしたリリックまで、あらゆる側面で評価しても完璧な1曲だ。ミニマルなループで不気味にグルーヴする“Style Wars”、ピアノ・リフの抜き方にプリモからの影響を感じさせる“Ain’t U Da Masta”、そして極めつけにダークなサウンドで幕を締めるポッセ・カット“Saturday Nite Live”と、後半も随所に聴きどころが飛び出る実に平均点の高いアルバムで、穿った見方をせず、素直に当時のNYサウンドの好事例の一つとして愛聴されるべきだろう。